「その服、似合ってるね」と言われて、反射的に「いや、安物だから」と返してしまう。
そういう場面を、僕は何度も見てきたし、昔の僕もよくやっていた。
謙遜は日本では礼儀のように扱われるけれど、褒め言葉を打ち返す癖は、損をしているほうが多い気がする。
今日は、褒められたときに一度だけ素直に受け取ってみる、という話をしたいと思う。
謙遜は、相手の言葉を返品している
褒めるというのは、相手にとって少しだけ勇気の要る行為だ。
言わなくても困らないことを、わざわざ言葉にしてくれている。
そこに「いやいや、全然です」と返すと、言った側は小さく空振りした気分になる。
本人は謙虚にふるまったつもりでも、受け取る側から見れば、贈り物を玄関先で返されたのに近い。
しかも厄介なことに、何度か打ち返されると、人はその相手を褒めなくなる。
褒めても喜ばれないなら、言う理由がなくなるからだ。
そうやって、自分のよいところを教えてもらえる機会が、少しずつ減っていく。
僕はこれを、かなりもったいない取引だと思っている。
「ありがとう」は、いちばん安い返し方
じゃあどう返せばいいのかというと、答えはだいたい「ありがとう」の一言で足りる。
気の利いた返しを考える必要はないし、褒め返す義務もない。
「ありがとう、うれしい」と言えば、会話はそこできれいに閉じる。
謙遜で返すと、相手は「いや、本当に似合ってるって」ともう一往復しなければならなくなる。
つまり打ち返す癖は、相手の時間と気力を余計に使わせている。
時間とエネルギーの収支で考えるなら、素直に受け取るほうがずっと効率がいい。
冷たい計算に聞こえるかもしれないけれど、相手を疲れさせない配慮として見れば、むしろやさしい選択だと僕は思う。
受け取れないのは、評価の基準を自分だけで持っているから
褒められても素直に喜べない人は、たいてい自分の中に厳しい採点表を持っている。
「この程度で褒められるのはおかしい」「本当はもっとできたはずだ」という基準だ。
向上心としては悪くないけれど、その採点表だけで自分を測っていると、他人の評価がすべて的外れに見えてくる。
でも、人がどう感じたかは、相手の側の事実だ。
僕が自分の仕事を六十点だと思っていても、受け取った人が助かったと感じたなら、それはそれで本当のことになる。
自分の採点と相手の感想は、別々の帳簿につけておけばいい。
どちらかを消す必要はないし、両方あるほうが自分を正確に知れる気がする。
褒め言葉は、次の判断材料になる
受け取る癖がつくと、もう一つ得なことがある。
人から何を褒められたかを覚えておくと、それがそのまま自分の強みの一覧になるのだ。
自分では当たり前すぎて気づかないことほど、他人の目にはよく映る。
「説明がわかりやすい」「返信が丁寧」「店選びがうまい」みたいな、本人は努力した覚えのないことが、案外いちばん価値を持っていたりする。
仕事を選ぶとき、人に何かを頼まれたとき、時間をどこに使うかを決めるとき、その一覧は意外と役に立つ。
褒め言葉を打ち返してばかりいると、この無料の情報を自分で捨てていることになる。
せっかく人がくれたデータなら、受け取って手元に残しておいたほうが合理的だと思う。
素直さは、練習で身につく
とはいえ、長年の癖はすぐには抜けない。
褒められた瞬間に「いや」と口が動いてしまうのは、性格というより反射に近い。
だから僕は、まず「いや」のあとに「ありがとう」を足すところから始めた。
「いや、ありがとう」でも、打ち返すだけよりはずっといい。
そのうち「いや」が抜けて、「ありがとう」だけが残るようになる。
完璧に受け取れなくても、少しずつ打ち返す回数を減らしていけば十分だと思う。
褒められてうれしいと素直に言える人は、周りから見ても話しやすいし、また何か言ってあげたくなる。
そういう循環に入れるなら、少し照れくさいくらいは安い代償な気がする。
今夜の一歩
今夜のうちに、スマホのメモを開いて、最近人から褒められたことを一つだけ書き出してみる。
かける時間は3分くらいでいいと思う。
思い出せない日は、「褒められたこと」という見出しだけ作って閉じればいい。
次に誰かに褒められたら、そのメモに一行足して、口では「ありがとう」とだけ返してみるのも悪くない。
――一ノ瀬 雅

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