読みかけの本を、閉じる許可を自分に出す

読みかけの本を、閉じる許可を自分に出す コラム

読みかけの本が、棚に何冊か溜まっていく。

最初の数十ページで止まったまま、背表紙だけがこちらを見ている気がする。

そういう本に対して、僕たちはどこかで小さな負い目を感じている。

やめることにも、判断はいる

途中でやめるのは、意志が弱いからだと思われがちだ。

でも、時間やお金を「何に使うか」という目で見直すと、少し違う景色になる。

読み始めた時点で払ったのは、購入代金と最初の数時間だ。

これはもう戻ってこない。

残りの数時間をどうするかは、これから先の話であって、過去に払った分とは切り離して考えていい。

面白くないと感じた本に、さらに数時間を足す。

それは「元を取る」ことにはならず、損失が少し増えるだけになりやすい。

僕はそう整理するようにしている。

閉じる前に、三つだけ確かめてみる

ただ、何でもすぐ放り出すのも違うと思う。

閉じる前に、次の三つを自分に聞いてみるのはどうだろう。

一つ目は、つまらないのか、それとも今の自分の状態に合っていないだけなのか、ということ。

疲れている夜に難しい本を開けば、内容に関係なく進まない。

二つ目は、この先に自分が求めている部分がありそうか、ということ。

目次や最後の章を先にのぞいてみるだけでも、見通しはかなり変わる。

三つ目は、周りの評価や「読んでおくべき」という空気に引っ張られていないか、ということ。

人の評判で選んだ本は、自分の興味が追いつかないことがある。

この三つに答えてみて、それでも続きが気にならないなら、閉じてしまっていいと僕は思う。

閉じることで、空いたものを使う

やめるのは、あきらめることではなく、手元の時間を入れ替える作業に近い。

空いた時間で、別の一冊を開いてもいい。

何もしないで、ぼんやりするのも立派な使い道だ。

大事なのは、「やめた」という事実に罪悪感を貼りつけないことだと思う。

罪悪感は、それ自体が時間とエネルギーを静かに削っていく。

読みかけの本を見るたびに少し気が重くなるなら、その重さ自体がすでにコストになっている。

棚から下ろして、「また縁があったら」と言って手放す。

それくらいの軽さで付き合うのが、ちょうどいい気がする。

本以外にも、同じことが言える

この考え方は、本に限らないと思う。

惰性で続けている習い事や、なんとなく契約したままのサービス、顔を出すのが義務になった集まり。

どれも、始めたときの自分と今の自分が、同じ答えを出すとは限らない。

続けるかどうかは、過去の自分への義理ではなく、これからの自分にとってのメリットで決めてみるのも悪くない。

冷たい考え方に聞こえるかもしれない。

でも、手放した分だけ、本当に気になるものに向ける余白が生まれる。

その余白こそが、結局いちばん得をする部分なんじゃないかと思っている。

今夜、棚の端にある一冊を手に取って、続きを読むか、閉じるかを決めてみるのはどうだろう。

どちらを選んでも、決めたこと自体に意味があると思う。

――一ノ瀬 雅

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