その日のことを、一行だけ書き残す

その日のことを、一行だけ書き残す コラム

一日の終わりに、その日のことを一行だけ書き残す。

日記と呼ぶほど立派なものではなく、メモ帳に一行足すだけの習慣だ。

続けてみると、これが思っていたより割に合う気がしている。

今日はその理由を、少し整理してみたいと思う。

記憶は、思っているより当てにならない

一週間前の火曜日に何をしていたか、すぐに答えられる人はあまり多くないと思う。

僕もそうで、予定表を見返さないと半分くらいは思い出せない。

予定表に残るのは「何があったか」だけで、「どう感じたか」はほとんど残らない。

楽しかった食事も、少し疲れた打ち合わせも、時間が経つと同じ濃さの記憶になっていく。

そうなると、次に似た誘いが来たときに、判断の材料がない。

人は意外と、同じところで同じように疲れているものなのかもしれない。

それに気づけないのは、記憶が平らにならされてしまうからだと僕は思っている。

一行なら、続けるコストがほぼゼロになる

何かを記録しようとすると、つい丁寧にやりたくなる。

専用のノートを買ったり、アプリを比べたり、書く項目を決めたりする。

そして三日目くらいで、書くこと自体が面倒になって止まる。

だから僕は、最初から一行と決めてしまうのが合っていると思う。

「昼の打ち合わせ、長かったけど得るものはあった」。

「夜の集まり、帰り道がやけに軽かった」。

その程度で十分だ。

一行なら、寝る前の三十秒で終わる。

疲れている日でも、手間が小さければ止まりにくい。

続けるための工夫は、やる気を上げることより、手間を下げることの方が効く気がする。

読み返すと、自分の傾向が見えてくる

一行のメモは、書いているときより読み返したときに価値が出る。

月に一度くらい、ひと月分をまとめて眺めてみるのがいいと思う。

すると、自分が何に時間を使って、何で気分が上下しているのかが、思っていたより正直に並んでいる。

たとえば、ある人と会った日はいつも「楽しかった」と書いている。

逆に、ある種類の予定のあとは、毎回のように「疲れた」とだけ書いている。

一回ごとには気づかない差でも、並べると無視できない形になる。

これは、誰かに言われるより自分の字で見せられる方が、ずっと素直に受け取れる。

次にどこへ時間を使うかを決めるとき、この一行の束はわりと頼りになる材料だと思う。

感覚で決めていたことを、少しだけ根拠のある判断に変えられるからだ。

良かったことも、ちゃんと残しておく

記録というと、反省や改善のためのものだと考えがちだ。

でも僕は、良かったことを残す方にも同じくらい意味があると思っている。

人の記憶は、嫌だったことの方を長く覚えやすいと言われる。

放っておくと、振り返ったときに残っているのは、うまくいかなかった場面ばかりになりやすい。

それで「最近ずっと冴えないな」と感じてしまうのは、少しもったいない。

実際には、小さく良かった日もそれなりにあったはずだからだ。

「コーヒーがうまかった」「頼んだ仕事が早く返ってきた」。

そんな一行でも、読み返すと気分の底上げになる。

自分の機嫌を自分で取る手段を一つ持っておくのは、時間の使い方としても悪くない投資だと思う。

完璧に書こうとしないことが、一番のコツかもしれない

書けない日があっても、気にしなくていいと僕は思っている。

二日空いたら、翌日にまとめて一行書けばいい。

一週間空いても、また今日から始めればいい。

途切れたことを責めはじめると、記録そのものが重荷に変わってしまう。

大事なのは毎日続けることより、ときどき読み返せる量が手元にあることだと思う。

文章のうまさも、正確さもいらない。

未来の自分が読んで、だいたいの空気が思い出せれば十分だ。

人に見せるものではないから、格好をつける必要もない。

むしろ、取り繕わない言葉で書いた一行ほど、あとで役に立つ気がする。

今夜から、一行だけ

時間もお金もかからず、失うものがほとんどない習慣は、そう多くない。

その割に、自分の選び方を少しずつ整えてくれるのだから、試してみる価値はあると思う。

ノートでも、スマホのメモでも、手近なもので構わない。

今夜、寝る前に一行だけ書いてみるのも悪くないと思う。

一か月後に読み返したとき、きっと少しだけ、自分のことがわかるようになっている気がする。

――一ノ瀬 雅

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