わからないことを、わからないと言う。
文字にすると簡単なのに、これがなかなかできない。
会議でも、雑談でも、知らない言葉が出てきた瞬間に、なんとなく頷いてしまう。
その場は丸く収まるけれど、あとで静かにツケが回ってくる。
僕は最近、この「わからない」を、できるだけ早い段階で口にするようにしている。
格好いい話ではなく、単純にそのほうが安く済むと思うからだ。
知ったふりには、利息がつく
知ったふりをした瞬間、払うコストはほぼゼロに見える。
恥ずかしい思いもしないし、話の流れも止めずに済む。
ただ、その借りは消えるわけではなく、後ろに回されるだけだ。
話が進むほど、前提を理解していないまま次の判断を重ねることになる。
途中で「実は最初のところがわかっていなくて」と言い出すのは、最初に聞くよりずっと勇気がいる。
時間が経つほど、聞きにくさが膨らんでいく。
これはお金の借り入れと同じ構造で、返済を先延ばしにするほど利息が乗っていく気がする。
最初の一分で「それってどういう意味ですか」と聞けば、払うのはその一分と、ほんの少しの照れだけだ。
そう考えると、早めに聞くのは損ではなく、むしろかなり割のいい取引なんじゃないかと思う。
「わからない」は、相手への情報でもある
もう一つ、見落とされがちなことがある。
「わからない」と伝えることは、相手にとっても役に立つ情報だということだ。
説明する側は、自分の話がどこまで伝わっているかを、意外と把握できていない。
頷いている相手を見て、全部伝わったと思い込んでしまうことも多い。
そこで一言「ここがまだ掴めていない」と返せば、相手は説明の仕方を調整できる。
つまり、わからないと言うのは、相手の時間を奪う行為ではない。
相手がこの先ずれた前提で動かずに済むよう、地図を手渡しているようなものだと思う。
黙って頷き続けるほうが、結果的に相手の時間をたくさん使わせてしまうこともある。
後から認識のずれが見つかって、やり直しになるのがいちばん高くつく。
聞き方を、少しだけ工夫する
とはいえ、何でもかんでも「わかりません」と投げるのが正解だとも思わない。
丸投げの質問は、相手に考える手間を押しつけてしまうからだ。
僕が意識しているのは、どこまでわかっていて、どこからがわからないのかを、一緒に伝えることだ。
「ここまではこう理解したけれど、この部分のつながりが見えていない」という言い方をする。
そうすると、相手は全部を説明し直さずに済むし、答えるほうもぐっと楽になる。
もう一つは、自分の言葉で一度言い直してみることだ。
「つまり、こういうことで合っていますか」と確認すると、理解のずれがその場で見つかる。
聞く側にほんの少し手間をかけるだけで、やり取りの質はかなり変わる気がする。
質問は、上手にやれば相手への気遣いにもなるのだと思う。
わからないと言える人は、信用される
不思議なもので、「わからない」と素直に言える人のほうが、周りからは信用されやすい。
なんでも知っている顔をする人の「わかりました」は、どこまで本当なのか判断しにくい。
一方で、わからないときにわからないと言う人の「わかりました」には、ちゃんと重みがある。
その人が頷いたなら、本当に理解しているのだろうと思えるからだ。
これは、言葉の価値を自分で守っているということでもある。
知ったふりを繰り返すと、自分の「わかった」という言葉がどんどん安くなっていく。
逆に、わからないと言える場面を持っておくと、自分の発言全体の信頼度が上がる。
長い目で見れば、小さな照れを我慢するより、言葉の信用を積み上げるほうが得だと僕は思う。
完璧に知っている必要はない
そもそも、全部を知っている人なんてどこにもいない。
知らないことがあるのは当たり前で、恥ずかしいのは知らないことではなく、知らないまま放っておくことのほうだ。
年齢や立場が上がるほど、聞きにくくなるのも自然なことだと思う。
だからこそ、聞けるうちに聞いておく習慣を持っておくのは、自分への投資になる。
一回の「わからない」で失うものは、たぶん想像しているよりずっと小さい。
そして、それで手に入る理解や信用は、想像しているよりずっと大きい。
次に知らない言葉が出てきたら、頷く前に一呼吸おいてみる。
「それ、もう少し教えてもらえますか」と、軽く聞いてみるのも悪くないと思う。
その一言が、あとで払うはずだった利息を、まとめて帳消しにしてくれる気がする。
――一ノ瀬 雅


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