人気の店の前に、長い列ができている。
それを見ると、つい後ろに並びたくなる気持ちは分かる。
みんなが並んでいるなら、きっとそれだけの価値があるのだろうと思えるからだ。
ただ僕は、列の最後尾に立つ前に、ひとつだけ考えるようにしている。
この待ち時間に、自分ならいくら払えるだろうか、ということだ。
待ち時間は、見えない支払いだと思う
行列に並ぶとき、財布からお金は出ていかない。
だから、なんとなく無料のような気がしてしまう。
でも実際には、時間という別の通貨で、しっかり支払っている。
一時間並んで千円のランチを食べたなら、それは千円と一時間を払った食事だ。
その一時間を、たとえば時給に置き換えてみると、ランチの値段は急に変わって見える。
もちろん、時間をお金に換算するのが正しいとは限らない。
休日の一時間と、締め切り前の一時間では、重さがまるで違うからだ。
それでも、一度値段をつけてみるだけで、「並ぶかどうか」は感覚ではなく選択になる気がする。
僕にとっては、その切り替えが大きかった。
値段のつけ方は、厳密でなくていい。
「この一時間で、本が半分読める」「この一時間で、部屋が片付く」と、代わりにできることを一つ思い浮かべるだけでも十分だと思う。
その代わりのことと、列の先にあるものを並べてみて、どちらが自分にとって嬉しいかを比べる。
それだけで、判断はずいぶん静かで、落ち着いたものになる。
列の長さは、自分の満足とは別の話
列が長いと、その先にあるものの価値も高いように見える。
でも列の長さが教えてくれるのは、「多くの人が欲しがっている」という事実だけだ。
それが自分にとって良いものかどうかは、また別の問題だと思う。
話題の店のパンケーキが、甘いものが得意でない人にとって一時間の価値を持つとは限らない。
人気の展示が、そのジャンルに興味の薄い人を満たしてくれるとも限らない。
並んでいる人たちは、それぞれ自分の理由で並んでいる。
その理由を、自分のものとして借りてしまうと、払った時間に見合う満足が返ってこないことがある。
だから僕は、列の長さよりも「自分はこれを、どれくらい欲しいのか」を先に確かめるようにしている。
そこがはっきりしていれば、二時間並ぶことも、まったく惜しくないと思えるはずだ。
反対に、そこがぼんやりしたまま並ぶと、待っている間ずっと「本当にこれでよかったのか」と考えてしまう。
その迷いを抱えたまま過ごす時間は、列の長さ以上に長く感じるものだ。
そして、ようやく順番が来たときには、期待のハードルが待った分だけ上がっている。
普通においしいものが、少し物足りなく感じられてしまうのは、そのせいかもしれない。
値段をつけると、別の選択肢が見えてくる
待ち時間に値段をつけると、並ぶ以外の方法が急に視界に入ってくる。
開店直後や平日の昼過ぎなど、空いている時間帯に行き直す。
予約やオンライン注文ができないか、一度だけ調べてみる。
近くにある、同じくらい評判の良い別の店を選ぶ。
あるいは、今日はやめておくという選択もある。
どれも大した工夫ではないけれど、「並ぶのが当たり前」と思っていると、意外と思いつかない。
選択肢が増えると、並ぶと決めたときにも、自分で選んだという納得が残る。
同じ一時間でも、流されて過ごすのと、選んで過ごすのとでは、終わったあとの気分が違うと思う。
それに、並ばずに済んだ一時間は、そのまま自分の手元に残る。
その時間で散歩をしてもいいし、誰かに連絡をしてもいいし、ただ休んでもいい。
使い道を自分で決められる時間が増えるのは、小さいけれど確かな得だと僕は思っている。
並ぶこと自体に、価値がある場面もある
こう書くと、行列そのものを否定しているように聞こえるかもしれない。
でも、僕が言いたいのはそういうことではない。
気の合う相手と話しながら待つ時間は、それだけで楽しいことがある。
限定のものを手に入れるまでの待ち時間が、思い出の一部になることもある。
そういうときの行列は、支払いというより、体験の一部なのだと思う。
待つ時間があるからこそ、手にしたときの嬉しさが大きくなる、ということも確かにある。
大事なのは、並ぶか並ばないかではなく、その時間を自分で選んでいるかどうかだ。
値段をつけたうえで「それでも並びたい」と思えるなら、それはきっと良い使い方なのだろう。
逆に、値段をつけた瞬間に気持ちが冷めるなら、それは最初から自分の欲しいものではなかったのかもしれない。
どちらの答えが出ても、損はしていない。
並ぶなら気持ちよく並べるし、やめるなら迷いなく次へ行ける。
値段をつけるという一手間は、そのどちらにも自信を持たせてくれるものだと思う。
行列以外の「待ち」にも、同じ考え方が使える
この考え方は、店の前の列だけに使えるものではない。
電話の保留音を聞きながら待つ時間。
セールの開始を、画面の前で待ち続ける時間。
返事が来るまで、何も手につかずに過ごす時間。
どれも、気づかないうちに時間を支払っている「待ち」だと思う。
一度値段をつけてみると、別の窓口を探したり、待つ間に他のことを進めたりと、取れる手が見えてくる。
待つことを全部なくす必要はない。
ただ、自分が何に、どれくらいの時間を払っているのかを知っておくのは、悪くないことだと思う。
お金の使い道は家計簿で見直せるけれど、時間の使い道はなかなか記録に残らない。
だからこそ、待つ場面に出会ったときが、時間の支出を見直す小さなきっかけになる。
一日のうちに、何となく待っているだけの時間がどれくらいあるのか。
それを意識するだけで、同じ二十四時間でも、手元に残る自由な時間は少しずつ増えていくはずだ。
次に長い列を見かけたら、後ろに並ぶ前に、少しだけ立ち止まってみてほしい。
その数秒が、今日の一時間の使い方を変えてくれる気がする。
――一ノ瀬 雅


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