苦手な人とは、切らずに距離だけ変えてみる

苦手な人とは、切らずに距離だけ変えてみる コラム

苦手な人がいる、という話は、あまり人前でしないほうがいいとされている。

でも、誰にでも一人や二人はいると思う。

職場でも、昔からの付き合いでも、なぜか話すたびに少し疲れる相手。

僕にもそういう人はいるし、たぶん僕自身も、誰かにとってはそういう存在なのだろう。

今日は、そういう相手との付き合い方について、僕がいま落ち着いている考え方を書いてみる。

「切る」か「我慢する」かの二択にしない

苦手な人のことを考えるとき、多くの人は二つの選択肢しか見ていない気がする。

関係を切るか、黙って我慢するか。

どちらもコストが大きい。

切れば、その人とつながっている周りとの関係にもひびが入ることがある。

我慢を続ければ、気づかないうちに自分の時間と気力が削られていく。

僕は、その間にもっと細かい目盛りがあると思っている。

会う頻度、話す時間、話す話題、連絡の手段。

関係そのものはそのままにして、こういうつまみを少しずつ回すだけで、ずいぶん楽になることがある。

切るでも我慢するでもなく、距離を調整する。

これが、僕が一番コストの低いやり方だと感じているものだ。

何が苦手なのかを、一つだけ特定する

距離を調整する前に、やっておくといいことがある。

その人の何が苦手なのかを、具体的に一つ言葉にしてみることだ。

「なんとなく合わない」のままだと、対策の立てようがない。

でも、よく考えると、苦手の正体は意外と狭い範囲にあることが多い。

話が長いのかもしれない。

夜遅くに連絡が来るのが負担なのかもしれない。

お酒が入ると話題が重くなるのかもしれない。

人のうわさ話が多くて、聞いているだけで疲れるのかもしれない。

正体が分かれば、そこだけを避ければいい。

話が長いなら、最初から終わりの時間を伝えておく。

夜の連絡が負担なら、返すのは翌朝にすると決めておく。

お酒の席が重いなら、会うのは昼のコーヒーだけにしてみる。

人そのものを避けるより、苦手な場面だけを避けるほうが、ずっと角が立たない。

そして案外、その場面さえなければ、普通に話せる相手だったりもする。

距離を変えるのは、相手を罰するためではない

ここで一つ気をつけたいのは、距離を取る目的だと思う。

距離を変えるのは、相手に何かを分からせるためではない。

既読をつけずに放っておく、わざと冷たく返す、といったやり方は、相手へのメッセージになってしまう。

メッセージは、たいてい余計な反応を呼ぶ。

「最近どうしたの」と聞かれれば、説明する手間が増えるし、関係はかえってこじれる。

僕が意識しているのは、相手が気づかないくらいの小さな調整にとどめることだ。

誘いを三回に一回だけ断る。

返信は丁寧に、ただし短くする。

会うときは、二人きりより複数人の場を選ぶ。

どれも、相手からすれば「少し忙しそうだな」くらいにしか映らないと思う。

それで十分だ。

目的は自分の消耗を減らすことであって、相手の行動を変えることではない。

そう割り切ると、罪悪感もかなり軽くなる。

消耗を、時間とお金に置き換えてみる

それでも、距離を取ることに後ろめたさを感じる人はいると思う。

そういうときは、苦手な相手と過ごす時間を、一度だけ数字にしてみるといい。

たとえば月に二回、三時間ずつ会っているとする。

移動や準備を含めれば、月に八時間くらいにはなるだろう。

さらに、会ったあとに気持ちが沈んで、何も手につかない時間があるなら、それも足しておく。

そうやって並べてみると、一年で丸数日分を、少し疲れる時間に使っていることに気づく。

食事代や交通費まで含めれば、金額としても小さくない。

もちろん、人との時間を損得だけで測るのは味気ない。

楽しい時間なら、いくら使っても惜しくないはずだ。

ただ、疲れるだけの時間なら話は別で、その一部を自分の睡眠や、会いたい人との時間に回すほうが、僕には自然な判断に思える。

数字にするのは、相手を値踏みするためではなく、自分が何に時間を払っているのかを確かめるためだ。

そう考えると、誘いを一回断ることも、ただのわがままではなく、自分の暮らしを整える小さな選択に見えてくる。

苦手な人が、ずっと苦手とは限らない

距離を調整するやり方には、もう一つ良いところがある。

関係を残しておけるので、あとから見直せることだ。

人は変わるし、自分も変わる。

数年前にはどうしても合わなかった人と、立場や環境が変わってから話してみたら、驚くほど噛み合うことがある。

あのときの苦手は、相手の性格ではなく、お互いの余裕のなさだったのかもしれない。

関係を切ってしまうと、その可能性ごと手放すことになる。

一度切った関係を元に戻すのは、距離を縮めるよりずっと手間がかかる。

だから僕は、よほどのことがない限り、つまみを絞るだけにしておく。

ゼロにはしない。

細くても線がつながっていれば、必要なときにまた太くできる。

これは、将来の自分への小さな保険のようなものだと思っている。

自分が誰かの「苦手な人」である可能性も

最後に、少しだけ視点を反対側に置いてみる。

僕が誰かを苦手に思うのと同じように、僕も誰かに距離を調整されているはずだ。

誘いが少し減った人や、返信が短くなった人がいても、それを責める気にはならない。

相手も、自分の消耗を減らそうとしているだけかもしれないからだ。

そう考えると、距離の調整は、お互いが静かにやっている気づかいのようなものにも見えてくる。

無理に近づかず、無理に離れず、それぞれが楽に続けられる位置を探す。

人間関係に正解の距離はないけれど、心地よい距離は、少しずつ動かしながら見つけていくものなのだと思う。

もし今、誰か一人の顔が浮かんでいるなら、関係を切る前に、つまみを一つだけ回してみるのも悪くない気がする。

――一ノ瀬 雅

コメント

タイトルとURLをコピーしました